【モデルコース】 「一領具足」の精神! 長宗我部元親が残したもの

浦戸城跡、若宮八幡宮

神地鎮護の神として、現在の地に創建された若宮八幡宮。鎌倉、室町を通し、武家尊奉の神社として尊崇されました。 戦国の時代、長宗我部元親公が初陣の際、神社の馬場先に陣所を構え、戦勝を祈願。そして、見事討ち破ることができたことから、以来、出陣の際の戦勝祈願の社として崇敬されました。一名勝虫といわれ縁起が良いとされるトンボにあやかり、社殿を出蜻蛉式建築に改めたことも有名です。 初陣を勝利で飾った元親公は、その後見事な戦振りで四国のほぼ全土を掌握。その始まりとなったのが、この若宮八幡宮だったのです。 神社の外苑には勇猛な姿の長宗我部元親公の銅像が建ち、県内外からファンが訪れています。 高知を代表する景勝地、桂浜を見下ろす背後の山一帯には、かつて長宗我部氏が最後の居城としていた浦戸城がありました。 ここは東、南、北が海に囲まれた要害堅固な城として知られ、水軍の保有にも便利でした。 関ヶ原合戦ののち長宗我部氏が改易され、土佐一国を与えらた山内一豊。浦戸城を受け取りに使者を遣したが、入城を拒んだ長宗我部旧臣は50日の間抵抗。最後には一揆は鎮圧され、入城まもなく一豊は大高坂に城を築城。浦戸城は廃城となりました。 本丸があった場所は、現在「国民宿舎桂浜荘」や「坂本龍馬記念館」が建つ辺り。高知城築城の際、浦戸城の石垣など資材を取り壊して運んだといわれており、現在は、石垣の一部と二ノ丸付近に3条の堀切がわずかに残るのみ。遺構はほとんど残っていません。
名称
若宮八幡宮
(わかみやはちまんぐう)
所在地
781-0270 高知市長浜6600
料金
無料
休日
無休
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