安徳天皇御陵あんとくてんのうごりょう

幼帝が眠ると伝わる御陵地
安徳天皇擁する平家一門が源氏の追っ手から逃れて、ここで暮らしたと伝わる仁淀川町別枝都地区。
安徳天皇のお守り役も務めた京都山城の国金子城主・平重詮(しげのり)は、源氏の追っ手から逃れるため中山重則(しげのり)、山内神助と名前を変えて暮らし、その後、西森姓に改姓した子孫が現在も系譜を紡ぐ。
安徳天皇は、1195年(建久6年)8月22日に18歳の若さで逝去されたと言い伝えられており、1933年(昭和8年)に安徳天皇御陵伝説地の指定を受けた御陵墓が都地区にある。御陵墓は“皇陵塚”と称され、毎年旧暦8月22日には住民によって都の太鼓踊りが行われている。
また、安徳天皇の乳母とされる女性も屋敷跡地から、この地に改葬されている。(写真下:乳母屋敷)
名称
安徳天皇御陵
(あんとくてんのうごりょう)
所在地
781-1803 吾川郡仁淀川町吾川郡仁淀川町別枝
交通アクセス
高知市から車で約2時間10分
お問い合わせ
仁淀川町役場企画課
電話:0889-35-1082
ファックス:0889-35-0571
最終更新日 2016年04月18日