3日間で歩いたのは計5万3,016歩。中年オヤジひとり旅は、初めての高知で歴史と人々の人情にふれた旅だった。

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中年オヤジ高知ひとり旅 (2009年12月23日)

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中年オヤジ高知ひとり旅 (2009年12月23日)
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年齢50ウン歳、自称自営業。さすらいの旅人です!

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中年オヤジ高知ひとり旅 [2009年12月20日(日) ]
「ほんとに夜行バスで行くの?だったら私、行かない」という妻の思わぬ一言に、「えっ、そんな〜」と口では文句を言いながら、心の中で、ぼくは思わず「やった〜!」とガッツポーズをしていた。東京から高知まで、中年オヤジひとり旅が決まった瞬間だったウインク

それにしても夜行バスでの旅行なんて、一体いつ以来になるだろうか?ぼくらの若い頃は、「私をスキーに連れてって」(1987年公開)などという、ミーハー映画まで作られたほどのスキーブーム(当時スノーボードをする人は、まだほとんどいなかった)。冬場はほとんど毎週のように、翌朝ゲレンデに着く夜行バスでスキー場に通ったものだスキー

否、国内ばかりじゃない。アメリカ大陸を走る「アムトラック」(乗車したことがあるのは、最初は鉄道で、乗客数が減ってくる途中からはバスに乗り換える路線だった)でひとり旅、カリフォルニア半島を縦断して年越ししたこともあった。でも、どちらも20年も前の遠い昔の話。
たしかに学生時代や社会人になったばかりの頃に比べれば、すぐ飛行機や新幹線に乗れる金はあるかもしれない。だが、金銭的な問題がなくても、時間をかけてバス旅行をすること自体、年のせいもあってかいつしか億劫になっていたようだ。自分自身の体力と可能な限り勝負する!力こぶ
今回、高知までバスで行こうと決めたのは、そんなことが頭のどこかにあったのかもしれない。


中年オヤジ、高知に初見参するぜよ

〈11月26日(木)〉

もっとも、実際に深夜バスへ乗ってみて驚いた。知らないうちに、バスの車体はすっかり進化を遂げていたのだ。やはり12,500円(片道料金。往復で購入すれば、さらに割引料金が適用される)という安さだけでは、飛行機や新幹線に対抗できないのだろう。
座席は独立して横は各列3席のみ。席の間には通路があって、リクライニング付き。もちろん、トイレも完備、水やお湯が飲めるサービスもあるなど至れり尽くせりだったバス

唯一の難点は、消灯時間が夜10時と早かったことだろうか。夜8時半に新宿を出て、東名高速道路の海老名SA(神奈川)、四国に入ってからの吉野川SA(徳島)と2度休憩があったが、いつも夜更かしばかりしているためか、なかなか眠れなかった。ウトウトしているうちに夜が明けてしまった感じだったZZZ

【この日の主なルート】
20:25ハイアットリージェンシー東京(新宿)より、小田急シティバス「ブルーメッツ号」(高知県交通、土佐電気鉄道との共同運行)乗車→21:30海老名SA着→翌日05:45吉野川SA着




高知に到着、まずは市場で腹ごしらえ

〈11月27日(金)〉

バスがJR高知駅前に着いたのは、翌朝7時になる頃だった。今回、坂本龍馬にゆかりのある桂浜、それに高知城には是非行ってみたい(理由は後で詳しく述べる)。時間的に四万十川まで足を伸ばすのは厳しそうだと漠然と考えてはいたのだが、まわり順まで詳しく決めていたわけではなかった。
ただ、現地に着いて最初にやることだけは決めていた。市場に行って定食屋に入り、「刺身定食」を食すことだったごはんグルメ番組にでも感化されたのか、なんとなく頭の中にそんなイメージができあがっていたのだ(笑)。

それでいて、市場が市内のどこにあるかも調べておらず、駅の売店で聞き、初めて弘化台という場所にあると知った。現地までの直通のバスや電車はなく、はりまや橋で乗り換える必要があった。
コインロッカーに荷物を預け、身軽になってから「1日乗車券」(2種類あって市内均一区間が500円、全区間は800円で1日乗り降り自由。基本乗車料金が190円だから、すぐに元がとれる)を買い、土佐電鉄の路面電車に乗った電車

この電車には、南北に走る路線(桟橋線)と東西に走る路線(本線)があって、はりまや橋の交差点で十字に交差している。200、300mも走れば、すぐに次の停留所になるので、市内の地理がよくわからない旅行者でも利用しやすい。企業の広告をまとった広告カーも多数走っていて、見た目にも楽しい。
はりまや橋で下車し、バス乗り場の位置を交差点にある交番で聞いた。すると、「今、ヒマだから、ご案内しますよ」と若い警察官がなんと隣の旅行代理店まで同行してくれたのだ。発車時間までも代わりに尋ねてくれた。今回は車中1泊、ホテル2泊の短い旅だったが、期間中このような高知の人たちの温かさに何度も触れることになるパトカー


中年オヤジ、定食屋の臨時店員になる?!

さて、20分くらいバスに乗っていただろうか。中央市場前で下車した真正面が高知市民の“台所”、高知市中央卸売市場である。時間は午前9時になる頃で、すでにセリは終わって場内は静かだった。飲食店や物販などを扱う商店が並ぶ一角で、「のむら食堂」という定食屋に入った。ここでもまた驚かされる。
「新鮮なほうがいいでしょ?ちょっと待ってて」と1人で店を切り盛りしていた女将さんが、当方を置き去りにして、場内の魚屋さんまで魚を調達に行ってしまったのだ魚

店番か?!誰も来ないといいなと思っていると、こういう時に限って来るもので、「いるっ?」と中年の女性が入口のガラス戸を少し開けて、声をかけてきた。どうやら取引先らしい。
「今…ちょっと魚屋さんまで行きましたけど」「あっ、そう」。ほんの数分くらいの出来事だったと思うが、女将さんが帰ってくるまでの時間がすごく長く感じられた困った

しかし、前夜、バスに乗る前に食べた夕食から、14時間も何も食べておらず、当方いささか空っ腹を抱えていたのだが、辛抱した甲斐はあったようだ。マグロの赤身と鯛の刺身、小鉢が何品か付いた定食は美味だったにっこり思わず、ご飯のお代わりをしたくなったが、まだ旅は始まったばかりと自重した。
「お客さん、東京から来たの?桂浜には行った?ここから近いよ。もしバスがすぐ来ないようだったら、またここに戻ってきて時間を潰したらいい」という女将さんの声に送られ、再びバスに乗った。
終点種崎に着くと、バス停の近くに何やら小さな船着き場らしきものが見えた。目の前にある「浦戸大橋」を渡りさえすれば、桂浜まではすぐだが、それではなんだか面白くない。好奇心のおもむくままに行動するのが、中年オヤジ1人旅の極意だ。当然、渡船で対岸の梶ヶ浦渡船場まで行くことを選択した船

カバンに入れた高知のガイドブックを確かめると、綴じ込んである地図にも渡船は載っていたが、見落としていた。県営で料金無料。ぼくが乗った時は他に5人ほど乗船したが、お遍路の男性ひとりを除き、残りの人たちは全員バイクや自転車を押して乗船していた。船が地域の生活に根差しているとわかる。
対岸までの所要時間は10分くらいだろうか?わずかな時間だったが、潮風が心地よかった。下船して船着き場の係の人に桂浜の方向を尋ね、浜まで歩くことにしたまる

実は今回ひとり旅をするにあたり、密かに自分自身に課していたルールがあった。さしずめ中年オヤジ旅の心得4カ条」といったところだろうか。


「その1.レンタカー、タクシーなどの車はなるべく使わず、電車やバスなどの公共交通機関で移動する。歩いて行けるところは徒歩で移動する」
「その2.面白そうと思ったり、興味を持ったものは迷わず見に行く」
「その3.美味しいものを食べ、美味しい酒を飲むための努力は惜しまない」
「その4.いつも世話になっている家族への感謝の意味を込め、土産を忘れない」


車に乗れば目と鼻の先だが、それではなんだか龍馬に申し訳ない気がした。結局、当日は2万歩以上を歩くのだが、桂浜周辺だけで1万数千歩は歩いたことになるだろう。自分自身が海の近くの町で生まれ育ったせいもあるかもしれない。子どもの頃から海に行くと思うと、なぜだか理由もなくワクワクしたものだ。この日もそうだった泳ぐ

ところで、桂浜に着くまでのわずかな道のりの間にも、興味深い史跡がいくつか存在する。その1つが長宗我部元親の墓だ。道ばたの案内板を頼りに急な石段を登っていくと、平らになった小さなスペースに元親が眠る古い石墓が現れた。
しかし、四国を平定し、豊臣秀吉に怖れられていた戦国武将にしては、いささか拍子抜けするほどのちっぽけなものだった。これだけではない。山内一豊の足跡が今も町のあちこちに残るのに対して、前任者であるはずの長宗我部氏のそれは極めて少ないのだ悲しい
関ヶ原の勝者と敗者の差はここでも歴然としていた。


龍馬人気で郵便局までも全国区

桂浜へ続く桂浜花道路沿いを歩いていると、「高知桂浜郵便局まで200m先」という看板が目に入った。龍馬ブームで全国的にも知られるようになった郵便局だ。龍馬の肖像が刻印されるスタンプを記念にもらおうと大勢の観光客が訪れている。
「観光でいらしたんですか?よろしかったら、そこにシールを貼ってください」と局長に言われて後ろを振り返ると、北海道から沖縄まで、全都道府県名を書いた紙が壁にあり、どこから来たのかを示す丸いカラーシールを貼るようになっていた。
全国から来ているが、やはり大阪を中心に関西エリアから来る人が多いようだ。ぼくもシールを貼り、1枚ハガキを買って記念にスタンプを押してもらった手紙
近くに昼食ができる場所はないかと聞くと、「桂浜に行かれるんですか?国民宿舎で食事ができますよ」と教えてくれた。来た道を戻り、再び海岸沿いを歩き始めた。

冬の暖かな日差しを浴びながら、緩やかなカーブが続いている道路の脇を、高台目指して上がっていく。目的は「坂本龍馬像」「高知県立坂本龍馬記念館」を見学、「国民宿舎桂浜荘」でランチを食べることだったが、海を見ながら歩くうちに「龍王岬」などもついでに見ておきたくなった。

比較的おだやかに見えた「西浜」と違って、この小さな岬を1つ隔てただけの「桂浜」は、寄せる波が岩に砕け散る様も見られる大波ご年配の方には、昔の東映映画のタイトルバックみたいと言ったほうがわかりやすいかもしれない。
ここが太平洋に面した場所であると再認識させられた。「坂本龍馬像」では、2010年放送される大河ドラマ「龍馬伝」を意識しているのか、「龍馬に大接近」という期間限定のイベントをやっていた。

像の隣に仮設の足場が組まれていて、入場料100円を出せば、ふだんは仰ぎ見るしかない龍馬像を、その顔と同じくらいの高さで眺め、写真を撮ることもできるのだカメラもちろん、実際に昇ってみた。龍馬像のあと、高台のてっぺんにある「国民宿舎桂浜荘」に向かった。
立ち寄り湯もできる宿泊施設だが、残念なことに出かけた当日は設備の点検日にあたり、入浴はできなかった温泉
考えてみれば、ふだんどこに行っても楽しみにしている温泉は、今回なぜかまるで頭になく、温泉に入る機会があるとしたらこの時だけだった。仕方ないので入浴はあきらめ、館内のレストランで「和定食ランチ」を頼んだ。追加オーダーしたコーヒーを飲みながら、ガイドブックを見て「この後どこに行こうか」と予定を考えることにした。


酒蔵見学の試飲でほろ酔い気分

じっと地図を眺めて目に留まったのが「酔鯨酒造」だった。ここが製造している「酔鯨」という日本酒は、東京の居酒屋で何度か飲んだことがあるので知っていた。
名前の由来は、幕末の土佐藩主で自ら「鯨海酔候」を名乗り、酒に関する数多くの詩を残した山内容堂公にちなんでいるクジラ高知県内には日本酒の酒蔵がいくつかあるが、高知市内に存在するのはここだけしかない。記念館を見てから帰りに寄ろうと決めた。

記念館の展示物としては、龍馬が暗殺された京都近江屋にあった血痕のついた屏風、彼が親しい人たちに宛てた手紙などが面白かった。短い生涯の間に歴史的な偉業を成し遂げただけでなく、極めてユーモアにあふれた人物であったこともうかがえる。今も多くの人に愛される理由のひとつだろうハート
見学を終えてから太平洋が一望できる屋上に出てみた。龍馬にゆかりのある施設は全国にいくつも存在するが、在りし日の彼が眺めたであろう、太平洋を同じように見ていると、何となく気分まで違ってくるから不思議だ。
龍馬のマネをして、「土佐の海はいいぜよ」と大きな声を出そうかと思ったが、もちろんそんな勇気はなく、隣にいたカップルに聞かれないよう小さく呟いたラブラブ

記念館を出て、まっすぐ「酔鯨酒造」へと向かうことにした。次の出発時間まで少し間があるので、バスで近くまで行くのは断念。今回の旅行で唯一利用したタクシーに乗った車会社前まで行ってもらって1260円だった。
もっとも、過去にも新潟や飛騨高山の酒蔵を見学したことはあったが、今回訪ねた場所は、一般向けに小売りをする売店があったり、見学コースを特別に設けているわけではない、純然たる製造の現場だった。

「できれば、前日までに申し込んでください」との条件付きで、手の空いたスタッフが無料ガイドを務めてくれるというものだ。だが、このことは現地に着いて初めて知った話困った
何の前触れもなく現れ「東京から来ました」という当方に、月の半分以上は東京に出張している副工場長のIさんが、「自分は今から出てしまうけど、ご案内できる人間がいるかどうか聞いてみますね」と杜氏に声をかけてくれた。幸い見学できることにはなったが、やはり見学希望者は、事前に確認の電話を入れておいたほうがいいだろう携帯

杜氏のDさんの案内で、仕込みに使う米から麹、お酒の貯蔵をしているタンクなど場内を一通り見せてもらったが、生酒、原酒と場所を移るたびに試飲をした。前夜の寝不足と、いくらかお腹も減ってきたせいか(桂浜荘の昼食は、品数もあって味も悪くないのだが、もう少しボリュームがあってもよかった)、ちょっと酔いがまわってくるのを感じた。見学を終えて再び2階の事務所に戻った。
小売もするというので、720ml入り「生原酒しぼりたて」を1本買うことにした。「1本でいいんですか?」と事務員の女性に念押しをされたが、旅はまだ始まったばかりである。荷物はなるべく少ないほうがいい。丁寧に包装された瓶を受け取り、見学のお礼を言って帰ることにしたにっこり近くの長浜出張所から出ているバスに乗って、はりまや橋まで戻った。

この日の宿は、じゃらんnetで出発当日の朝予約した「リッチモンドホテル高知」であるホテル中心部がJRの駅前ではなく、はりまや橋の周辺らしいとわかったので、付近のホテルを検索して見つけた。旅費を節約しようと、貯まっていたポイントも使うことにした。
この週は人気プロゴルファー、石川遼君が出場したゴルフトーナメントと「エンジン01」文化戦略会議というイベントが開催され、市内はけっこう混雑していたようだ。そのせいか、同じホテルに連泊できなかった。翌日泊まる宿を決めていなかったが、このあと屋台から帰る途中で偶然前を通り、ガイドブックで名前に見覚えのあった「ベストウエスタン高知」をフロントで予約した。


2階から手動式エレベーターでモツ煮込みが…

さて、中年オヤジの旅に欠かせないアイテムが酒である。試飲をしすぎて少々酔いが残っているという想定外の出来事はあったものの、チェックインを済ませ、ひと休みして予定通り出かけることにした。高知でぜひ行ってみたいと思っていた店に、帯屋町の「とんちゃん」があるブタ
創業者は100歳を超えていまなお健在という。31歳の時に旧満州へと渡って現地で応召、戦後ソ連に抑留されたのちに帰国。1954年、大陸で覚えた羊肉のジンギスカン焼の屋台を公園で始めたのが地元の人たちにウケた。
以来、今日まで半世紀を超える長い歴史を持つ。のちに屋台は条例で撤去されるが、すぐ前の土地が空いたので、そこに一軒家を建て店を構えるようになった熱燗

ホテルが同じ帯屋町だったこともあって、ネオン街に繰り出すと目当ての店はすぐ見つかった。酒好きで、地方に行く機会があれば、たいてい地元の居酒屋へと繰り出すことにしているが、過去に行ったことのあるどんな店と比べても、「とんちゃん」は異色の存在という点で、トップクラスにランクされるはずだ。
たった1度行ったきりで、長居したわけでもない店についてあれこれ語るのは、常連さんにとっては甚だ心外かもしれないが、かつて鈴木清順監督あたりが撮ったような、摩訶不思議な映画の世界といったらマト外れだろうかムービー

酒と料理は、滑車と太い白のロープで上下する、手動式の箱(エレベーター?)に乗って1階と2階を上がり降りする。これを見ただけでも“いちげんさん”は目を白黒するはず。
店名でもある豚モツの千切りをタレと炒めた「とんちゃん」は、1階カウンター内で調理をしていたが、もう1つの名物である「銀なべ」(モツ煮)を頼むと、エレベーターに乗って、ガラガラと大きな音を立てて上から降りてきた。2階に大きな鍋でもあるのだろうか。

カウンターの隣でひとり飲んでいた、常連とおぼしき年配の男性が、「昔、この箱は透明じゃなかったんだ」などと、エレベーターの変遷についてのウンチクを語り始めたので、ついつい聞き耳を立ててしまった。こうした軽妙なやりとりが長年繰り返されてきたのだろう。
店の担い手はすでに創業者の息子、嫁世代へ移っているが、お客さんとの良好なコミュニケーションは変わらないようだ笑顔このまま、閉店まで長居をしようかとも思ったが、飲み歩きがこの日の目的であると思い出した。生ビール1杯、芋焼酎のロック2杯を飲んで早々と店を出ることにした。

2軒めに行ったのは屋台である。全国各地に屋台村と称するものはあるが、昔から脈々と続く屋台の伝統を守り続けるのは、九州の博多とここ高知くらいしかないらしい。
しかし、店の数は高知でも最盛期の半分、数十軒に減っているのだという。さて、どこに入ろうかと思案していて、偶然、店主と目が合った「虎ちゃん」に決めた。
ここでも芋焼酎のロック、ツマミに餃子1皿とおでんを3品ほど頼んだおでん高知の屋台村は最近餃子がブームらしく、ほとんどの店でメニューに加えているようだった。やや小ぶりながら、パリッと焼けた餃子は美味しかった。

「お客さん、東京から来たの?」と店主に聞かれて、今日桂浜に行ってきたこと、明日は高知城に行くつもりだなどと話をした。有名な「日曜市」が行われる場所を詳しく教えてもらい、ホテルに帰ることにした。まだ11時だが、今日はぐっすり寝て明日に備えるとする笑顔

【この日の主なルート】
07:00JR高知駅前着→08:00はりまや橋まで路面電車で移動→08:25土佐電鉄種崎行バスに乗り換え中央市場へ→09:00場内の定食屋で朝食→09:40再び種崎行バスに乗る→10:10種崎渡船場より渡船に乗る。10:20梶ヶ浦渡船場に着く。桂浜に向かって歩き始める。途中で長宗我部元親の墓、高知桂浜郵便局、龍馬像などを見学→13:30「国民宿舎桂浜荘」で昼食→14:30「高知県立坂本龍馬記念館」を見学→16:50タクシーで移動、「酔鯨酒造」を見学→18:00長浜出張所より高知県交通バスに乗車、南はりまや橋下車。路面電車に乗り換えJR高知駅へ。コインロッカーの荷物を取り出し、再び路面電車ではりまや橋まで戻る。→18:50「リッチモンドホテル高知」チェックイン→20:00「とんちゃん」で飲む→21:30屋台村「虎ちゃん」で飲む→23:00ホテルに戻る

この日歩いた歩数:2万3,574歩
いつも、すぐに「足が痛い!」などと言い出すヤツがいないと進むなあ。



"お仕事"から始まった高知滞在2日め

〈11月28日(土)〉

前日の行動を知って、2日めはいったい何をするんだろうかと、興味を思われた方には少々申し訳ないが、この日の午前中はちょっとした“お仕事”から始まった。朝食は宿泊した「リッチモンドホテル高知」のモーニング。
和食は15食限定、当方は洋食を選択したが、ワンプレートにうまくまとめられていて美味しかった。ビュッフェ形式ではないが、パンとコーヒーがお代わりできるのは嬉しい食パン
チェックアウトを済ませ、コンビニから自宅宛に宅配便を送る。すでに買ってあった土産、集めたパンフレット類などの重そうな物、洗濯物も一緒に入れた。可能な限り荷物はコンパクトにまとめ、身軽にするのがひとり旅の鉄則だコンビニ
洗面道具や着替えなどの大きな荷物は、フロントで教えてもらった帯屋町筋のアーケードにあるコインロッカーに預ける。

次に近くで見つけたマクドナルドに入り、コーヒーを飲みながら“仕事”をした。仕事をすべて片付けてから旅に出るつもりだったが、ちょうど月末で忙しかったこともあって、大事な請求業務が一部残ってしまった。われわれ自営業者のツラいところである。
少しでも荷物を減らそうと、請求書自体は出発前に記入してきたが、宛名書きといつもやっている一筆箋に何かコメントを書く作業があった。もっとも、旅先の解放感がそうさせたのか、現在高知に来ていること、昨日行った桂浜の印象などをつい長々と書いてしまった手紙


小学生相手に真剣勝負の大人たち?!

あいにくこの日は土曜日とあって、窓口業務をやっている郵便局は、JR高知駅前の高知中央郵便局しかなかった。昨日と同じく1日乗車券を買って、路面電車で駅前まで出ることにした。到着が気になる郵便は速達で投函、再び路面電車で帯屋町筋まで戻った電車
アーケードをぶらぶらと歩いていると、大勢の人が騒いでいる一角があった。サントリー、西武百貨店など数多くの広告を手がけている、日本を代表するアートディレクター浅葉克己氏の名前を冠した、「アサバ杯龍馬卓球大会」なるイベントだった。「エンジン01」関連の催物らしい。

浅葉氏本人の姿も見えた。69歳になる浅葉だが、自他ともに認める熱心な卓球ファン。卓球6段を名乗り、それに賭ける情熱は活躍されている本業以上とさえ言える。息子のひとりを卓球から1字とって「球」と命名したほどだ。
もっとも、出場者たちはそんな事情にはお構いなしに、熱戦を繰り広げていた。小学生ダブルスと社会人ダブルスのありえない対戦カードもあったが、勝負がかかっているせいか、「大人げない」という表現がピッタリの白熱した試合になっていた。もう少し観ていたい気もしたが、ここで時間を潰すわけにもいかず、立ち去ることにした悲しい

次に行ったのは金券ショップだった。深夜バスで高知まで来たが、実は帰りの交通手段をどうするか決めていなかった。飛行機?岡山まで出て山陽新幹線で帰る?そのために往復割引を利用できず、割安なバスのアドバンテージをすべて享受できたわけではなかった。
しかも、東京を出発する直前まで仕事に時間をとられていて、金券ショップに行くことも叶わなかった。それで高知に来てから探したが、東京ほど同様の店がないらしく、金券ショップ自体がなかなか見つからなかった。

諦めかけてアーケードの端まで歩いてきたところで、ようやく店を発見!羽田までの飛行機に乗るための株主優待券を購入することにした。航空会社の株主優待券を使えば、通常運賃の半額で搭乗できる。
ただし、金券ショップを介して券を売買しているので、株主以外は半額というわけには行かない。それでも、旅行時に片道3万1,400円だった高知〜羽田までの運賃が7,100円安くなる。浮いた分のお金は飲食に使ったり、土産を買う資金にまわせる。店を出るとNTTの看板が見えたので、そこの公衆電話から航空会社に予約も入れた黒電話

複数の大きなイベントが高知で開催されていたこともあって、JALは翌日曜日の午後に高知を出発する羽田行きは全便満席。ANAも午後便で空席があったのは1便だけだった。金券ショップから電話して翌日の便が混み合っているとわかったので、その場でANAを選択飛行機同社の株主優待券を購入した。
ぐずぐずしていると、日曜日のうちに東京まで帰ることができなくなるおそれがあった。できれば最終便を選択して出発時間ギリギリまで高知を満喫したかったが、断念することにした。


素通りしかけた幕末有名人の石碑

飛行機の予約を済ませ、昼食を食べる「ひろめ市場」まで行く途中、道ばたに「武市瑞山先生殉節之地」と書かれた石碑を見つけた。通称・半平太。坂本龍馬の遠縁にあたる人物で、土佐勤皇党を結成して活躍するが、藩の政変によって捕えられて切腹を命じられる悲しい石碑が立つ場所は、まさにその最期の地である。
高知市にある端山の旧宅と墓所は史跡に指定されている。剣の腕が一流で教養もあった端山は、芸術の才能にも優れており、数多くの自画像や美人画などの作品を残している。幕末を舞台にした映画やドラマにもたびたび登場する有名人だが、ゆっくり歩いていなければ素通りするところだった。

すでに午後2時近く。少し遅くなったが、腹が減っては“戦”(高知城見学)ができないというではないか。まずは「ひろめ市場」で昼食をとることにしたごはんここは集合型市場で、高知の新鮮な魚介が食べられる飲食店、雑貨を扱う物販などの店が60以上並ぶ。高知の市内観光を1日で済ませたい人にはオススメの場所だ。
料理はそれぞれ店で購入、「お城下広場」と命名されたテーブルスペースに運んでいただく。「鰹ユッケ丼」と「どろめ」(生しらす)を頼んだ。特に後者は、ふだん寿司屋や居酒屋でメニューに見つけると必ず頼む好物だが、馴染みのある駿河湾産や相模湾産に比べると、やや身が細いのか微妙に食感が違っていた。同じ種類だと思っても、実際食してみないとわからないものだウインク


掛川城と高知城はほんとうに似ているか?!

お腹が落ち着いたところで高知城に向かった。最初に述べたように、今回の旅で是非見ておきたいと思った場所の1つである。それには次のような事情が関係している。私の故郷・静岡県に掛川城という城がある。関ヶ原の戦いの功績で5万石から24万石へと大出世した山内一豊のかつての居城だ笑い
もっとも、こちらは高知城と違い、江戸時代の終わりに起きた大地震によって倒壊したり、明治時代に入ると、廃城令によって建物の一部を残して撤去され城址公園になっていた。ところが、平成に入っていくつもの信じられないような偶然が重なり、城が復元される。

戦争中、中国で軍部を相手に莫大な財を成し、戦後は東京で暮らしていた老夫婦がいた。それが信仰の関係で掛川へと移り住み、名刺代わりに市に5億円もの寄付を申し出たのだお金せっかくの資金を有効活用しようと、中学校にパソコンを整備するなどの案が検討されたが、掛川城の天守閣を復元、城を中心に町おこしを進めたいと考えていたアイデアマンの市長が「今がその時」と決断する。

不足分は市民からも募金を募り、最終的には10億円もの多額のお金が集まって城の復元が行われることになった。さらに2つめの偶然が重なる。関ヶ原後、土佐に移った一豊は、高知城の築城にあたり、「掛川城の通りに」と言ったとされる。しかも、当時の図面までも現存していた。これらの偶然がなければ、いくら建設資金があっても復元は困難だったはずだ。

ご主人は先に亡くなり、資金の提供を申し出た老婦人も完成目前で亡くなるが、生前その夢枕にたびたび一豊の子孫が現れては、「早く城を完成して欲しい」「工事の無事を祈っている」と言ったともいう。
ここまで来ると多少マユツバな気がしないこともないのだが、2つの城はそんな密接な関係にあるだけに、掛川城と高知城はほんとうに似ているのか知りたくなった。十数年前、掛川城に行ったぼくは、以来、高知に行く機会をずっとうかがっていた。

ちなみに市長の思惑通り、完成した城を中心とした町おこしがある程度成功した掛川には、全国から視察に来るようになった。財源不足の折でもあり、決まって尋ねられるのは、やはり建設費のことだそうだ。そのたびに、莫大な寄付をしてくれた老婦人の話をするらしいが、真相を知ると、皆うなだれて帰って行くようだショック

さて、実際に高知城に行ってみての感想だが、下から仰ぎ見た時には、それほど似ていると思わなかった。だが、天守閣に昇ると、その時に感じた大きさ、最上部まで続く、急こう配のハシゴと実に似通っていたのだ。正確な寸法がどうのといった細かい話はわからない。あくまでも個人的な印象なのだが。

とはいえ、一豊が足を踏み入れた当時の土佐、つまり現在の高知は、もともと四国全体を平定したほどの実力を持つ戦国大名、長宗我部氏の領地だったところである。関ヶ原での功績とはいえ、他所からやってくる新しい領主が、直ちに熱烈な歓迎をもって迎えられたとは考えにくい。二百数十年続くことになる徳川時代も始まったばかりで、どこまでその権力が地方に浸透していたかは疑わしい。

かつての領主である長宗我部氏を今なお慕う、旧家臣や領民だっていたに違いない。言うなれば、サッカーでいうところの“完全アウェイ”。一豊の立場は、同じ日本人とはいえ、戦後厚木基地に降り立ったマッカーサーみたいなものだったのではないか。そんな考えが急に頭に浮かんできた困った
全国的に見ても、塀に木やクギなどを仕かけて曲者を寄せ付けない、「忍び返し」が高知城ほど完璧に残っている城は珍しいらしい。そんなガイドブックで目にする記述も、実は単に保存状態がよいといったレベルの話ではなく、それだけ守りを堅固にする必要に迫られていたと見るべきだろう。天守閣のてっぺんから眼下に広がる高知市内の街を眺めながら、400年も前の一豊時代に想いをはせた。


高知観光の穴場?県立文学館

城を出てから、隣に建つ「高知県立文学館」に向かった。高知城の天守閣を見学する際のチケットの半券を見せると、350円の入場料が割引になる笑顔常設展では、「土佐日記」の紀貫之以来、今日まで脈々と続く高知県関係の文学者たちを紹介している。
高知県の出身ではないが、「竜馬がゆく」をはじめ、土佐を題材に多くの作品を発表。名誉高知県民にも選ばれている司馬遼太郎を紹介した展示コーナーもあった。

高知県出身者の中には、宮尾登美子、山本一力、坂東眞砂子など、いずれも直木賞を受賞している現代の人気作家も多い。ちょうど訪ねた日、宮尾登美子の特別展をやっていた。
彼女が上京する以前、無名時代の直筆原稿などの貴重な資料も展示されていたが、館内は意外なほど空いていた。文学に興味のある人はゆっくり見学できる穴場かもしれない音符

夕方5時が近くなり、まもなく閉館になることを伝える館内放送が流れた。文学館を出て、公園内を歩いた。高知城の前を通って、高知新聞社の横から路面電車が走る通りに出る。陽はだいぶ暗くなってきていたが、今日のうちにまだ見ておきたい場所があった夕日
「坂本龍馬誕生地」の石碑と「高知市立龍馬の生まれたまち記念館」だ。高知城前の停留所から路面電車に乗車し、上町1丁目で降りた。石碑があるのは、路面電車が走っている道路沿いの歩道脇、記念館はそのすぐ裏手と分かりやすい。


「ごめん」と詫びて電車が走り過ぎる

龍馬ゆかりの品は、桂浜にある「高知県立坂本龍馬記念館」の他にも、彼と縁のある京都、長崎などにも存在する。市の運営する施設とあっては予算だって少ないだろう。ここではいったい何を見せるつもりかと思ったら、龍馬が生まれた当時の町の様子を再現。どんな少年期を送ったのか見せることに力を入れているようだった。
幼少期の龍馬は泳ぎができなかった泳ぐそこで龍馬と一番年齢が近く、大きな影響を与えたとされる4歳上の姉・乙女(前日、桂浜で見学した記念館の資料によれば、成人した龍馬より背が高かったらしい)が弟を川に連れ出し、縄でつるして泳ぎの特訓をさせたというエピソードを、川が流れる効果音まで入れて再現したコーナーはおかしかった。

外に出ると陽はすっかり暮れていて真っ暗だった流れ星再び路面電車に乗ってホテル近くまで行こうとしたが、横断歩道を渡ろうとする前に信号が赤へと変わり信号、目の前を電車が通り過ぎて行った。乗り損ねたわけだが、行先の表示を見て我が目を疑った。「ごめん」と書いてあったからだすいません
正確には「御免町」という地名らしいが、高知では行先を書いた看板にもそう書いてある。停留所に居合わせた高校生のグループに尋ねたが、「昔からそう言っているからわからない」と言われた。置き去りにしたお客に「ごめん」と謝っているようで、なんだかおかしかった。

乗車した上町1丁目から数えて5つめ、堀詰で路面電車を降りた。アーケード街のコインロッカーに預けた荷物を取り出し、この日の宿泊先である「ベストウエスタン高知」にチェックインする。昨日と同じ女性スタッフがいた。
はしご酒をした帰り道であり、いくらか赤くなった顔をして明日空き部屋がないかと交渉したのだ。多少の気恥ずかしさはあったが、一応、「昨日はありがとうございました」と礼を言った拍手
手続きを済ませると、「お好きなものをお取りください」と入浴剤の入っているカゴを差し出された。こういうサービスは嬉しい。特に昨日、立ち寄り湯に入り損ねたせいか、余計そう感じたのかもしれない。建物自体は新しくなさそうだが、きれいにリフォームされているし、全体の印象は悪くなかった。


新潟勢を相手に日本酒談義で苦戦する

部屋で荷物を整理してから再び出かけた。昨日行った「とんちゃん」はガイドブックにも載っている有名店であり、メニューは肉系中心だった。そこで、2日めはガイドブックに載っているような店は避け、かつ魚系の店にしようと思った魚
こちらもホテルのすぐ近くだったが、たまたま前を通りかかった居酒屋「土佐海援隊」という店にふらりと入った。生ビール、ウツボの唐揚、のれそれ、カツオのたたき、四万十のりの天ぷらを頼む。アナゴの稚魚である、のれそれは東京でもたまにお目にかかるが、ウツボというのは珍しい。
たたきを頼むか、唐揚にするかで迷ったが、カツオをたたきで食べるので唐揚を選択した。生ビールを飲み終えてから、「土佐鶴」の生酒を頼んだ熱燗

ウツボは、生きている時はかなりグロテスクに見えるが、調理されると意外にあっさりとしている。食材としてはやや高価な部類にでも入るのか、若干分量が少ないような気もしたが。考えてみれば、“中年オヤジひとり旅”も酒を飲むのは今日が最後。お腹がいっぱいになったところで、心残りがないよう何度もメニューを確認して店を後にした笑い
屋台のある一帯をあらためて探索してから、結局、また昨日と同じ「虎ちゃん」に入った。「いらっしゃあ〜い。今日はどうでした?」と店主に聞かれたが、実は店を見つけるのにちょっと手こずった。この日は前日と違ってけっこう寒く、どの屋台も周囲をぐるりと覆うビニールシートを降ろしていたからだ困った

熱燗と餃子、おでんを頼む。新潟県から来たらしい、男性数人のグループが日本酒談義をしていた。高知の酒について聞かれた店主が、「土佐鶴、司牡丹なんていう地元のお酒が、高知ではよく飲まれています」なんて答えていた。
前日、酔鯨酒造を見学しているせいか、当方高知の肩を持ちたくなったが、なにしろ相手は日本一の米どころ。全国でも有数の銘酒の数を誇る新潟である。いささか分が悪すぎた。
熱燗のお代わりをしてから、最後のしめにラーメンを頼んだ。しょうゆ、みそ、塩、とんこつといろいろな種類があったが、一番オーソドックスと思われる、しょうゆラーメンを食べたラーメン「明日帰るの?また高知に来てね」と店主に言われ、ホテルに戻ることにした。

中には、「えっ、これでもう飲み歩きが終わっちゃうの?」と思われた方もいるかもしれない。当の本人も「あまり飲み過ぎるな」などと言うウルサイ同行者もいないし、とりあえず軍資金もある。
この機会にもっとベロベロになるまで酔ってみたい気もしたが、初めての土地であり、酔っ払ってホテルに無事帰れるだろうかという意識が先にあるせいか、今回の飲み歩きはこれにて終了となった。中年オヤジひとり旅の現実は、意外とこんなところかもしれない落ち込み

【この日の主なルート】
11:00「リッチモンドホテル高知を」チェックアウト。コンビニで自宅宛に宅配便を出す。コインロッカーに荷物を預け、マクドナルドでお茶→12:30高知中央郵便局→13:30アーケード街で「アサバ杯龍馬卓球大会」を観戦。金券ショップで株主優待券を買い、翌日の飛行機を予約→13:50武市半平太の石碑を発見→14:00「ひろめ市場」で昼食→14:50「高知城」を見学→16:00「高知県立文学館」へ。見学後に徒歩で移動、高知城前から路面電車に乗る。上町1丁目で下車→17:00「坂本龍馬誕生地」の石碑、「高知市立龍馬の生まれた町記念館」へ。見学後、再び上町1丁目から路面電車に乗り、堀詰で下車→18:30「ベストウエスタン高知」にチェックイン→20:00居酒屋「土佐海援隊」で飲む→21:30屋台村「虎ちゃん」で飲む→23:00ホテルに戻る

この日歩いた歩数:1万5,480歩
前日よりかなり減ったが、自宅で仕事をすることが多いせいか、ふだんはなかなか1万歩を越えられないでいる。いつもであれば、大満足できる歩数なのだが…。



「日曜市」を見て高知よサラバ!!

〈11月29日(日)〉

高知での最後の朝もホテルで朝食をとった。ただ、ビュッフェ形式で味も悪くないのだが、洋風だけのメニューが並ぶのは、見た目には少々寂しかった。当方、トーストに味噌汁といった趣味はないが、同じビュッフェ形式でも、和洋両方の料理が並ぶほうがやっぱり豪華に見える。過去に宿泊したことのある、ビュッフェ形式の朝食を採用している施設では、そのような和洋どちらも置くところが多かった落ち込み
自分自身は洋食を選ぶことが多いが、同行者が和食党といった場合もあるのではないか。経営的な問題もからんでくるのだろうが、選択肢は狭めないほうがいい。

同ホテルを選んだもう1つの理由は、高知名物「日曜市」が、ホテル前の道路で開催されているからだみかん江戸時代の元禄3年(1690年)、土佐藩4代目の藩主・山内豊昌公が場所と日取りを定め、市立を認めたことが始まりとされる。
現在の「曜市」になったのは、太陽暦が採用された明治9年(1876年)から。その後、戦争で一時本来の姿を失ったが、昭和23年(1948年)に現在の場所で復活。追手門から電車通り近くまで東西1.3q余り、500軒もの店が並ぶ日本最大級の露天市である。

近郊の農家による旬野菜の直売をはじめ、土佐文旦、ゆずなどの果物、干物、菓子、蜂蜜、田舎ずし、刃物、陶器、工芸品、植木、おもちゃ…等々、幅広い。何に使うものかわからない「たぬきの脂」、イモ天、冷やしあめの店もあるOK
全国各地で行われる露天市は一般に朝市が多いが、ここは早朝から夕方までと開催時間が長い。それだけに日に1万5,000人もの人手があるので、人気商品は早めになくなってしまうかもしれない。あらかじめ目的が決まっている人は、午前中なるべく早い時間に行ったほうがいいだろう。

今回、「日曜市」で買いたいものがあった。フルーツトマトである。高知県産のトマトは糖度が高いことで知られるが、それを1箱、最近ご無沙汰している実家の両親に送ろうと思ったのだ。ところが、ある店で相談すると意外な答えが返ってきたダメ
「お正月の頃が一番甘くなるよ。まだそんなに甘くない。電話かFAXで注文してもらえれば、全国どこでも送ります」と言って店のチラシをくれた。同じ商品を店頭に並べているのに、なんとも商売っ気のない話である。
相手が観光客とわかっているのに、無理に売りつけようとする発想がないみたいだ。これだから高知人は憎めない。結局、両親にはトマトをゼリーに加工したものを送ることにして、生のフルーツトマトはしばらく待つことにした。

高知の旅も終わりに近づいた。朝ホテルをチェックアウトする際、フロントで空港まで行くバスの時間を聞くと、「今日は、石川遼選手が出ているゴルフ大会があるので、道路がいつもより混雑しているかもしれません。空港には早めに行かれるほうがいいと思います」とアドバイスされた。
とはいっても、2時間も3時間も早く着いて待つわけにも行かない。「日曜市」を見学したあと、アーケード街で見つけた「ランプ」という昔ながらの喫茶店で時間をつぶすことに決めて、旅行で印象に残った出来事などを店内でノートに書き留めたりしていたメモそして13時50分発の全日空羽田行きに間に合わせるべく、出発の1時間ほど前、高知龍馬空港に到着するバスに乗った。

【この日の主なルート】
10:00「ベストウエスタン高知」をチェックアウト、コインロッカーに荷物を預けて「日曜市」を見学→11:00喫茶店「ランプ」でひと休み、ノートに旅の記録などを記す→12:20はりまや橋から空港行きバスに乗る→13:00空港内の飲食店でカレーセットの昼食、出発時間まで売店で土産を買う→13:50ANA羽田行きで高知をあとにする

この日歩いた歩数:1万3,962歩(羽田から自宅までを含む)
観光をしたのは午前中だけだったし、こんなものでしょう。ついでに高知に滞在したこの3日間の歩数は合計5万3,016歩だった。


〈初の高知旅行を終えて〉
子どもの頃、父親が企画した家族旅行にたまに出かけることがあった。A型人間の典型のような父は、旅行会社も真っ青の綿密なスケジュールを立て、時間通りに行動することを好んだ。しかし、同行者はすぐに乗り物酔いをする母と、聞き分けのない3人の息子たちである。時間通りに進行することは珍しく、いつも遅れがちで、父はすぐ不機嫌になった怒り

あの頃の反動だろうか。大人になってから、ぼくは、しばしば気ままなひとり旅に出かけた。国内旅行だけではない。海外旅行でもそうだった。格安航空券を使ったから、往復の便は指定されているが、それ以外はまったく白紙の状態である。
現地に着いてから、つたない英語を駆使して、ホテルを予約したりしていた。冒頭で紹介した「アムトラック」のチケットも、サンフランシスコに到着してから現地で買い求めたものだ飛行機
当然のことながら、回り道をするはめになったり、乗物の出発を長時間待つこともあった。でも、構わないと思った。その時その時で、これからどうしようかとジャッジすることが楽しかったのだ。

息子のひとり旅が父には理解できなかったようだ。「そんなの旅じゃない」と、面と向かって言われたこともある。こちらも若気の至りで、ムキになって反論したものだ。もっとも、それも昔の話。歳を重ね、心も体も丸くなった今では、考え方は違う。
思うに、気ままなひとり旅と、グループ旅行、団体旅行は、けっしてどちらが優れているかと優劣を競ったり、良い悪いと決めつけるものではなく、補完関係にあるのではないか。
特に最近はそんな風に思えてならない。実際、新聞広告で見つけた1泊2日の温泉ツアーなどにも、年に何度も行っている。割安なツアーを見つけると思わずニンマリしてしまうのだラブ

今回、たまたま、今まで述べてきたような旅をすることになった。もし仮に同じコースをまわったとしても、同行者がいたり、パッケージツアーだったりすれば、目に映る光景はまったく異なるものだったかもしれない。要はそれぞれの人の満足度である。
初の高知旅行は、日程的な制約もあり、高知市内のみの観光となった。本人としてはいい旅になったと思っているが、もっと時間があれば、四万十川や仁淀川などの豊かな自然にも触れてみたかったボート

特に四万十川は、高校時代に映画「祭りの準備」(1975年公開)を故郷の映画館で観て以来、気になっていた。のちにNHK大河ドラマも手がけている、中村市(現四万十市)育ちのベテラン脚本家・中島丈博の自伝的な作品だが、三十数年も前に公開されたものなので、高知県出身の方も今ではあまりご存じないかもしれない。

女優・竹下景子のスクリーンデビュー作で、同年のキネマ旬報作品ランキングで年間2位という栄誉に輝いた秀作でもある。社会科の教科書に載っていて名前だけ知っていた四万十川が、急にリアリティを持って感じられる存在になった。以前は洋画ばかり観たのが、邦画を中心に観るようになったばかりか、一時は本気でプロの映画監督を志したほど見事にハマった。自分にとって、そんな記念碑的な映画が「祭りの準備」だったのだムービー

以来、四万十川に行きたいとずっと思っていたが、なかなかその機会は巡って来なかった。今回初めて高知に来ることができ(北海道から沖縄まで、仕事の出張や個人的な旅行などで全都道府県を回っているが、なぜだか高知が最後に残ってしまった)、四万十川にも行ってみたかったのだが、時間がなくまたしても叶わなかった。でも、とりあえず今回の旅で高知とのご縁はできたので、次の機会を待とうと思う。

文中でも紹介したように、今回の旅は高知に住む人たちの欲のない、いくつもの優しさに触れる機会となった。皆さんお世話になりました。そしてまた会う日までーーーにっこり


〈最後の最後〉
ところで、高知に行こうとしなかった妻のその後である。実は、彼女が行かなかったのは、バスのせいだけではなかったのだ。その最大の理由はなんと韓流ドラマだったテレビ
叔母や同年代の友人たちの影響で、最近になって韓流にハマった妻は、今までの遅れを取り戻そうと猛烈な勢いで見まくっている。もっとも、配偶者がふだんまったく興味を示さないので、遠慮していたようだ。そこで彼女はある計画を立てた。
ひとり旅に夫を送り出して、留守の間、誰に遠慮することなく、思う存分ドラマを見まくると決意したのだ。だから、彼女もまた心の中でガッツポーズをしていた。
そんな思惑を知らないぼくは、「いつ帰ってくるの?」とも聞かれず、「ゆっくりしてくれば」という言葉を鵜呑みにして、おまけに酒代の足しにと資金カンパまでもらっていたお金

しかし、旅行から戻って「ただいま」と玄関のドアを開けた瞬間、「もう帰って来たの?」と落胆した妻の姿を見逃さなかった。帰宅時間はメールで知らせてあったのだが。ちょうど週末だったこともあり、夫の留守中、妻は寝食も忘れドラマを見まくったらしい。後で聞いたところでは、この2、3日で、DVDに収められた全24話のドラマをなんと23話まで見終えていた。
どおりで帰宅した時、出迎えに出てきた彼女の第一声は、「おかえりなさい」でもなければ「高知どうだった?」でもなく、「最終回まだ見終わっていないのに」だったのだ困った
韓流恐るべしである。        ――完――
コメント
『高知』を身近に感じることができました。
飲みは「とんちゃん」。当たりですね
Posted by:とんこ  at 2009年12月23日(水) 23:25

四国上陸を目論んでいるので、高知城は必須ですね。
Posted by:空  at 2009年12月23日(水) 19:07

私も同年代。こんな旅をしてみたい。もちろん、妻抜きで。
Posted by:Tommy  at 2009年12月23日(水) 17:37

ただのぶらり旅と見せかけて、かなり深い。店番をするところなど、人情味が溢れているね。
Posted by:Goma  at 2009年12月23日(水) 13:37

50代にして深夜バス&5万歩とは
飲みは案外大人しかったですね
Posted by:まいまい  at 2009年12月23日(水) 06:29