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銀色週間・土佐戦国ツアー  [2009年10月02日(金) ]
まる旅行体験レポートまる
この度は今流行りの戦国時代を巡る行程を中心にご提案いたします!
高知での戦国時代の武将といえば、昨今人気急上昇中の
土佐の出来人・長宗我部元親。
彼の足跡を4泊5日の高知旅で探ってみようと思います。

メモ:長宗我部元親
長宗我部国親の嫡男として生まれますが、幼少時は色白で大人しく、
部屋で一人本を読みふけり客が来ても挨拶一つしない変人であったことから
上下問わず「姫若子」と揶揄されていたと記述が残るほど、
土佐の人なつっこい気質から比べると真逆の人間でありましたが、
22歳の初陣の折りすばらしい功績を上げ、家督を継ぐとまたたくまに
土佐、続いて四国を平定します。
秀吉の四国征伐により土佐一国に戻されますが、
豊臣政権下では比類なき働きをし、秀吉より豊臣の姓を賜り、
豊臣の家紋の使用も許される好待遇ぶりでありました。


まるスケジュールまる
1日目 09年9月21日 中村行き車
高知駅集合=黒潮一番館(昼飯)=入野松原=長泉寺=不破八幡=渡川古戦場
=中村城=谷忠澄の墓跡=一條神社=水車亭=酒国長宗我部(夕飯)

2日目 09年9月22日 南国市=安芸行き車
高知県立歴史民俗資料館=香川親和墓=津野神社=国虎屋(昼飯)=浄定寺
=安芸土居武家屋敷散策=安芸城=しゃーべっと茶屋=絵金蔵=おっこう屋

3日目 09年9月23日 本山行き車
本山城土居=東光寺=本山氏足軽橋=瓜生野=早明浦ダム=ゆず庵(昼飯)
=長宗我部元親墓=長宗我部元親初陣像=若宮八幡=雪蹊寺=秦神社
=長浜城=島浪間供養塔=ひろめ市場(夕飯)

4日目 09年9月24日 高知市内散策車
薫的神社=吉良親実屋敷跡=吉良神社=石立八播宮=吸江庵



まる0日目 09年9月20日まる

夜遅く高速バスで高知入りしました。
宿泊場所はホテルNo1高知。

部屋からはライトアップされた高知城を見ることができました。



まる1日目 09年9月21日 中村行きまる

9時半に高知駅で待ち合わせ、一路中村へ向かいます。


料理黒潮一番館料理
途中にある黒潮一番館で郷土料理を堪能。私は鰹コロッケを頼みました。
鰹と芋がちょうどよくマッチし、お酒がほしい味付けだと思いました(笑)
シルバーウィークで大変込んでいて、入れないお客さんもいるほど。
予約をしてもらってほんとうに良かったです。


クローバー入野松原クローバー
元親の家臣谷忠澄が罪人を使って植林をした防風林が今でも残っています。
風光明媚なところですが連休ということもあり、サーファーが沢山いました。

メモ:谷忠澄
元は土佐の神官でしたが元親に才能を見出され長宗我部家家臣となり、
中村を任され長宗我部家にはなくてはならない人物となりました。


クローバー長泉寺クローバー
入野松原からほど近く、谷忠澄のお墓があります。
もとは中村城付近の正福寺にありましたが、
裁判所を建設するためこちらに移したそうです。


クローバー不破八幡クローバー
土佐一条氏が建てた神社です。
お手洗いが出来立てで、桧のいい匂いがしました(笑)

メモ:土佐一条氏
時の関白一条教房が応仁の乱を逃れこの中村に住み、
町を以前住んでいた京都風に開拓したことから中村は
「土佐の小京都」と呼ばれ、一条は「御所様」と呼ばれていました。


クローバー渡川古戦場クローバー
長宗我部と一条の最後の合戦地。
この戦の勝利をきっかけに長宗我部は土佐を平定します。
こちらの石碑がある場所は長宗我部サイド。
川向こうに見える小山が中村城です。


クローバー中村城クローバー
土佐一条氏の居城。元親が土佐を平定した後は家臣の谷忠澄が入城します。
現在では当時を残すものは殆どなく、
模擬天守が建てられ郷土資料館となっております。


クローバー正福寺跡(谷忠澄墓跡)クローバー
中村城近くにある商店街を抜けた場所(一條神社とは逆側)にあります。
現在は裁判所ですが当時はここに忠澄の墓がありました。
裁判所建設のため入野松原に移されました。


料理一條公料理
一條神社と裁判所の間にある商店街内にある和菓子屋さんに
「一條公」というお菓子が売っています。
柔らかい栗まんじゅうです。ぜひ中村のお土産に!
同店のはちみつだけで甘味をつけたプリンもおいしいです!


クローバー一條神社クローバー
土佐一条氏を祭った神社です。
ここは一条氏が住む中村御所があった跡地で
江戸期に一条氏を奉る為に神社が建てられました。

びっくりこちらの見所を少しご紹介いたします
足跡:咲かずの藤
元親に追われた一条兼定が
「植えおきし 庭の藤枝心あらば こん春ばかり 咲くな匂うな」
という詞を詠んだところ、この藤は300年間花を付けなかったといいます。
足跡:化粧井戸
境内に女官たちが使用した井戸が残ります。


クローバー水車亭クローバー
いもけんぴがおいしい土佐のおみやげ屋です。
高知市内に帰る途中の国道にあります。
ここも結構人気。

ここに箸拳ロボットというのがあるのですが、誰がやるのか気になります。
メモ:箸拳
高知のお座敷遊びの一つで、一斉に出した箸の本数を相手と競います。
負けると酒を飲まされるという、酒の国高知ならでわの遊びです。

ここで人気なのがステQと呼ばれるいもけんぴのはしっこ。
これが安くてお得なんです!
他にも試食が沢山出来るので、おいしいものをお土産に!


料理酒国長宗我部料理
最近できた居酒屋で、長宗我部人気をあらわしています。
呼び出しボタンが七つカタバミ!
こちらはご一緒して下さった
高知県立歴史民俗資料館の館長と副官長さん。
「この紋所が目に入らぬか!」と、長宗我部家の家紋である
七つ酢漿草の呼び出しボタンでポーズ。
土佐のいごっそうらしく豪快な酒の飲み方をされます。

メモ:土佐の酒事情
高知の酒の席は独特で、有名なところでは目下が目上の者に酒を
勧めこれを飲み干すと、同じ杯で今度は目上が目下の者に
酒を勧めこれを飲み干す献杯と返杯。
おみやげ屋なのどで見かける、杯に穴があいていたり
底が丸くて机に置けない「べく杯」などは有名ですが、
ほかにも、酒が杯に残っていても酒を勧められて
断ることは失礼に当たるので、飲み干して頂く、
またはあいている椀に酒を捨て新しく頂いてもよい
という変わった風習があり、地元のおんちゃんらと飲むと
灰皿などが酒びたしになることもしばしばだそうです。

館長さんもかっこよく酒を捨てて皆さんのお酌を
受けておられました。豪快ですね!!

ここにも酒を愛する土佐人の、酒があまり強くない人
へのいたわりと美徳があるのだと感動しました。



まる2日目 09年9月22日 南国市=安芸行きまる

2日目は南国市を経由して安芸へ向かいます。


クローバー高知県立歴史民俗資料館クローバー
昨日のお礼もかねて民俗資料館へ。
来月から翌年まで改装工事が行われ、長宗我部専門の
ブースを作るのだそうです。

長宗我部氏は以前までは研究する人も少なく
情報も少量でしたが、昨今のブームを追い風に
多角的な分野から研究が行われようとしています。

尚、この後ろにあるのが長宗我部氏の居城、岡豊城です!
平成20年、中世と近世の過渡期が混ざったつくりが色濃く残る城郭のため、
国の指定を受けました!
晴れていれば長浜と海迄見下ろせる絶景ビューが広がります!


クローバー香川親和墓クローバー
元親の次男の墓です。長宗我部家累代の墓が岡豊城北側にありますが
彼の墓だけ少し離れたこの場所にあることが不思議です。


クローバー津野神社クローバー
長男信親が亡くなると三男・親忠派と四男・盛親派に別れ家督争いが起こります。
そこで親忠は津野神社横の霊厳寺に幽閉され、盛親によって後に殺されます。
津野神社は親忠の墓跡に建てられ、墓石は近くの霊厳寺跡に移されました。


料理国虎屋料理
安芸に向かう途中の国道沿いにある
うどん屋で、安芸の豪族土佐七雄の一人
安芸国虎にちなんだメニューがあります。

国虎うどんは安芸国虎がかつて味噌味で煮込んだ猪鍋を好んで食べていた
ことから、このうどんも味噌味で豚をいれています。
国虎が好きだった味をうどんで再現したものですが量がすごく多い…!
女性だと少しきついかもしれません。


クローバー浄貞寺クローバー
国虎の祖父が建立したお寺で、安芸家の菩提寺となっていて、
国虎はじめ一族や家臣も眠っています。

メモ:安芸国虎
土佐七雄安芸氏の当主。奥さんは一條兼定の姉。
元親が安芸へ進行し籠城の最後は、元親に家臣や一族の命を
取らないことを約束させ、この浄貞寺で切腹をします。

びっくりこちらの見所を少しご紹介いたします
足跡:太刀洗の池
国虎が切腹の際、太刀を清めた池です。
足跡:安芸氏の墓
入って奥中央が安芸国虎の墓で、
墓の手前左右に国虎を守るように家臣達の墓があります。
国虎のお墓より向かって左が国虎を介錯し追い腹を切った家老有沢石見の墓。
右が元親が欲しがったとされた黒岩越前之守の墓です。
国虎夫人を一条まで届け、帰り道に長宗我部家家臣にと誘われましたが、
主君が寂しいだろうと断り追い腹を切ったとされています。

奥には国虎の祖父や父、息子の墓があり、安芸家の墓を出た所に
国虎夫人の墓があります。
階段を上ると安芸氏を祀った安芸神社があります。


クローバー安芸土居武家屋敷散策クローバー
安芸市内には昔ながらの武家屋敷が残ります。
その一部が公開され、一般の人も上がることが出来ます。

安芸の家の塀は独特で、石を積んだものや失敗した
瓦を積み上げて塀としたものもあります。


クローバー安芸城クローバー
安芸氏が滅びた後は元親の弟、香宗我部親秦が守ります。
長宗我部改易後は山内一豊の家臣のうち代々五藤家が幕末までこの城を守ります。

下の水堀や石垣、虎口は五藤時代のものだと思いますが、
上の石積みや平場がいつの時代のものか分からず興味をそそります。

資料館の前には国虎が篭城中に、元親が毒を入れたと流言した井戸が残ります。


料理しゃーべっと茶屋料理
安芸城から野良時計へ向かう間にあります。
高知でご当地でとれた食材でアイスを作るさきがけとなった場所で、
焼きナスアイスがおすすめです!


クローバー絵金蔵クローバー
狩野派の絵師であった金蔵はある日、
贋作事件で汚名を着せられ狩野派を追われ土佐へ逃げ帰ります。
その時に地元の方に世話になったお礼として屏風などに描いて送った絵が
今でも残っており、その保存のために地元の方が絵金蔵を建て現在でも
保存・展示をしています。

7月の連休には毎年屏風が家々に戻され玄関が開け放たれ、
そこに展示していて夏の風物詩となり昨今では大変人気のイベントと
なっています。

ここで、絵金蔵をこのコンテストに掲載してよいか副館長さんにお話したところ、
取材腕章をつけて頂き、写真を複数撮らせていただきました。
この場をお借りしてお礼を申し上げます。

さて、中に入る前にちょうちんを渡されます。
中に入ると金蔵の作品のレプリカが暗がりに展示されており、
それをちょうちんを使って鑑賞する面白いつくりになっています。

中には盛親と親忠の長宗我部の家督争いをもとにした浄瑠璃・「蝶花形名歌島台」、
伊達のお家騒動をもとにした歌舞伎・「伽羅先代萩」などなどの絵が飾られています。
因みに、伊達のお家騒動で原田甲斐と斬り合った柴田外記は元親の外孫にあたります。

2つ目の部屋にある「蔵の穴」の中に展示されているものは本物で、
度々入れ替えがされています。
この本物が全て見られるのは7月の連休のみとなっております。

私達が見たものは
「伊達競阿国戯場 累」、「競伊勢物語 春日の里小芳住家」で、
前者も「先代萩」同様伊達のお家騒動を基にした演目です。


クローバー弁天座クローバー
絵金蔵の向かいにある芝居小屋です。
色々な演目が並びますが、お芝居をあまり知らない私でも分かるほど有名な
演目が並んでいたので安心して楽しむことが出来ます。


クローバーおっこう屋クローバー
絵金蔵の近くにあるアンティーク雑貨のお店。
自称「座敷童」の気の良いおんちゃんがいます。
ここで土佐の昔からある杯を購入することも出来ます。



まる3日目 09年9月23日 本山行きまる


クローバー旧街道クローバー
江戸時代、お殿様が参勤交代で使用した街道ですが、
長宗我部が本山へ攻める時にここを通ったであろうとも言われています。


クローバー本山城土居クローバー
土佐七雄の一つ、本山氏の居城です。まさかこんな山の中とは…!
本山氏は長宗我部を一度は滅ぼし高知市内や浦戸、朝倉までに手を伸ばした氏族ですが、
まさか発祥の地がこんな山奥だったとは驚きました。

他の土佐七雄である、安芸、吉良、大比良、津野、香宗我部、長宗我部は
居城がほぼ平野部にあるのに対し、本山は一人山の中です。
この一番不利な場所で土佐1.2を争う勢力に拡大したことが本当に凄いと思いました。
これは普段本を読んだり写真を見るだけでは分からない体験です。

石垣等が残る頂上までは現在マムシが出るので登城を断念し、
土居跡付近のみの散策となりましたが、
既に併設されている公園が茂っていました^^;

メモ:本山氏
土佐七雄の一つ。長宗我部氏と領土が隣接していたために度々抗争が起き、
元親の祖父・兼序の代には長宗我部家を滅ぼし、
元親の父・国親の代で和睦を図りますが、後に元親に滅ぼされます。


クローバー東光寺クローバー
土佐平定に於いて戦死した長宗我部の家臣団の供養塔があります。
何故本山の土地で勝ち組の長宗我部関連が
供養されているのか長年の疑問だったのですが、
この供養塔を建てたのが、嘗ては本山の家臣である近森氏であることに納得しました。
近森氏は長宗我部の本山攻めの折長宗我部に寝返った家で、山岳地帯出身のため
山攻めの際は大変よく働いた人物だったのだそうです。


東光寺より後ろの山が本山城です。
山頂の大きな木があるあたりが本丸だと言われています。


クローバー本山氏足軽橋クローバー
瓜生野に行く途中に奇妙な看板が右手にあります。
車を停めると川付近の岩盤に、橋をかけたあとではないかと思われる、
岩をくりぬいた跡が残ります。
説明文が全くないので解らないのですが、本山氏が使っていたのでしょうか?

ここの川は大変奇麗で、夏に泳いだら気持良さそうでした。
ジャンプが出来るスポットもいくつかあり、
9月末なのにまだ飛び込んでいる方がいらっしゃいました。


クローバー瓜生野城クローバー
本山氏が長宗我部と対峙する最後の土地です。
もう本当に山の中で、ここに城があったとは考えられない程山の中です。
ここら辺は山内一豊に抵抗する一領具足最後の
一揆である滝山一揆の場所でもあります。
ここから北へ通じる抜け道があり、本山も一領具足もその道で逃げて
再起を図ろうとしたのではないか?という噂まで残っています。


クローバー早明浦ダムクローバー
高知市内へ向かう途中に通りました。
ニュースで度々耳にするダムのその大きさに驚きます!


料理ゆず庵(昼飯)料理
南国市にあるオムライスがおいしいお店です。
地のものも沢山頂ける良い場所でもあるのですが、
カツオのタタキパフェや、アイスを何キロも使ったパフェ、
スイカがおかずでごはんとみそ汁がつくスイカ定食
などなど、変わったメニューがあることが知られています。

そんなお店に最近「長宗我部元親の定食」というメニューが加わりました!
高知の地のものが沢山入っています!
カツオのタタキやうつぼのからあげも顕在!


クローバー長宗我部元親墓クローバー
元親の遺言通り盛親がここに墓を建てたといわれています。
長浜の町と海が一望出来、元親が現在でも愛した土佐を守っているような感じがします。
最近ではブームの影響で献花が絶える事はありません。

びっくりこちらの見所を少しご紹介いたします
足跡:三谷家の墓
元親墓所の下にあります。墓石の由緒書きに寄れば、
「長宗我部元親公ニ仕へ二番家老ニテ一千五百石知行ヲ賜フ」
「二十五代ノ孫三谷盛一建之昭和十年六月」とありました。
足跡:兵士の塚
天甫寺山へ上る前にあります。
浦戸一揆で戦死した一領具足や長宗我部家臣を祀ったものと口伝で伝えられています。
元はここから少し離れた池上家の畑の中に、いつの頃からか大切に祀られていました。
歴史的文献は残っていないのですが、信親公の菩提寺天甫寺跡に残っていたことから、
縁のある現在のこの地へ移転してきたものだそうです。
足跡:愛馬の塚
バス停の看板のはす向かいに「愛馬の塚」があります。
これは、元親の馬のお墓だそうです。
口伝では、秀吉から賜った馬、「内記黒」ではないかと言われています。
内記黒は司馬遼太郎の小説「夏草の賦」で、戸次川合戦敗走中、
観念した元親が腹を切ろうとした時、元親の命を助けた馬です。
しかし、内記黒は葦毛だと伝わっていますが、葦毛なのに何故名前に
「黒」がついているのか?元親のセンスが気になる所です。
足跡:長宗我部の御神木
元親の墓所に上がる途中の階段横に、3本の椎木だった大きな切り株があります。
これは「長宗我部の御神木」といい樹齢は不明ですが、
元親の墓が建てられた当初からあったのではないかとされていますが、
昨今の台風の襲来で倒れてしまったのだそうです。


クローバー長宗我部元親初陣像(鎮守の森)クローバー
1560年5月、元親は22歳で初陣を迎えます。
国親、元親親子は若宮八幡で必勝祈願をし、
若宮八幡の隣のここ、鎮守の森で野営をし本山との合戦に備えたといいます。
元親初陣像は、1999年に元親没後400年を記念して建てられ、
2009年今年で10周年を迎えました。
毎年5月末、初陣に近い日曜日に初陣祭が開かれます。
名物の銅像洗いは必見です。
今年は初陣祭にあわせた長宗我部のツアーがあり、
参加者が銅像を洗う様子が地元新聞にも取り上げられました。

この銅像は日本の数ある戦国武将の銅像の中では屈指の格好良さだと思います。
どこから撮ってもカッコイイ!
制作された彫刻家さんはお亡くなりになりましたがこの像を制作するにあたり、
現存する元親の肖像画や木像を徹底的に研究し、顔作りにこだわったのだそうです。
また、像が被っている兜は元親が実際に使用した兜を模していますが、
現存する元親初陣の兜には銅像のような前盾はなく、
当時西日本でよく使われていた量産型の兜なのだそうです。


クローバー若宮八幡クローバー
源頼朝が祖父・源為朝の冥福を祈り源家の家運長久を祈って
京都の為朝邸跡にあった六條左女牛若宮に、石清水八幡宮の御神霊を御勧請し
ここに若宮八幡宮を創建されたのが始まりです。

後に、長宗我部元親22歳の折、本山氏の城、長浜城を攻略するための初陣前日、
5月25日に父国親と鎮守の森辺りに陣所を構え、
若宮八幡宮で必勝祈願を行ったところ、
大勝利をおさめたために、ここを出陣祈願の社と定めます。
よって、出陣祈願のため社殿は土佐神社と逆の出蜻蛉式となっています。
(※土佐神社は今回行きませんでしたが、元親の凱旋報告の神社であり
若宮とは逆に蜻蛉が社殿に入るような「入蜻蛉式」といわれる作りになっています)

しかし、1587年の戸次川の戦いの折、
必勝祈願をしたにもかかわらず、自慢の長男信親が戦死したため
怒った元親は若宮八幡の鳥居を不詳の鳥居として海に流してしまいます。
以降、明治頃まで鳥居のない神社だったようです。


クローバー雪蹊寺クローバー
雪蹊寺は伝承に寄れば空海が開祖でしたが、
その後衰え廃寺となり、いつしか妖怪が出るようになりました。

天正年間のある日、月峰和尚がこの地を訪れますが、
近隣の方は「妖怪が出るので近づかない方が良い」と言います。
それを聞き入れず、境内で座禅を組んでいると泣き声と共に
「水も浮き世という所かな」という下の句だけ聴こえてきます。
妖怪は、和歌の上の句が出来ずに苦しんでなくなった者のようで、
月峰和尚は「墨染めを 洗えば波も 衣きて 水も浮き世と いう所かな」
と、上の句を考えてあげました。
すると泣き声はやみ、妖怪も出なくなったのです。

その噂を聞きつけた元親が月峰和尚に住職になるように頼み込み、
元親は月峰のために慶運寺を建て直し、
宗派も元親が当時信仰していた臨済宗に改めたたといいます。

後に元親が亡くなり、ここを菩提とした事から元親の法号
「雪渓如三大禅定門」から「雪蹊寺」と名を改めました。
現在では四国霊場33番札所です。

元親の戒名「雪蹊」は、37歳の時、元親が荼毘にふされた天竜寺(京都)の
当時の和尚から頂いたものらしいです。
当時の和尚は今川義元、武田信玄、織田信長といった大名からも一目置かれる
人物だったようで、まだ土佐を平定したばかりだった元親の先見の明が伺えます。

因に「恕三」は自分で作ったらしく、「禅定門」は禅宗で一番位の高い名前。
その上に「大」がつくので、このクラスになると高僧か、
または宗教に深く帰依した人物だとされています。

余談ですが、坂本龍馬の剣の師匠、土居先生とその奥さんのお墓もあります。


クローバー秦神社クローバー
秦神社は、元親始めとする長宗我部氏累代の霊を祀っていて、
元親の菩提寺、雪蹊寺に隣接しています。
雪蹊寺が廃仏毀釈で無くなった時に、
元親の弟、島弥九郎の直系の方が県にお願いし雪蹊寺に保存してあった
長宗我部元親画像、長宗我部元親木像、戸次川戦死者名簿、を譲り受け、
元親木像をご神体とし、本山氏の居城であった長浜城山麓に建立した神社です。
秦神社の後ろは長浜城です。

この鳥居の横に「長宗我部親先生」という大きな石碑があります。
これは、「精参流」を元親が後に「水心流」と改名した
長宗我部家に代々伝わる兵法を元にして、明治時代の長宗我部の末裔、
長宗我部親さんが剣詩舞として現代に蘇らせた記念碑なのだそうです。

尚、長宗我部慰霊祭は毎年11月の連休にここで行われます。


クローバー長浜城クローバー
長宗我部の宿敵、本山氏の城です。
5月26日、暴風吹きすさぶ夜、長宗我部氏はこの城を、北西から攻めました。
今も北西の谷を「夜討ちが谷」と伝えられています。
昨今訪れる方が増えた為に、途中まで階段を用意して頂いています。

地元の方は何も残っていないとおっしゃいましたが
今も堀跡や石垣の一部が残っているようです。
ひとえに「城」といっても、現存する天守閣が聳える立派な城をさすのではなく、
戦国時代の城は戦うための城であり、櫓や砦程度の建物しかなかったと思います。


クローバー島浪間供養塔クローバー
雪蹊寺横の公園(?)の様な場所にお墓があります。
実はここも隠れた史蹟!
幕末に脱藩し、開国に奔走した長宗我部家の血を引く島浪間の供養塔があります!

メモ:島浪間
長浜に生まれ、別名長宗我部四郎義親といい、
坂本龍馬に従い土佐勤王党に加盟していますが
武市らと揉めたとかの理由で名簿より名前は削除されているそうです。
その後は脱藩し天誅組に入隊。最後は遊説のため岡山に入りますが
盗人と間違われ自刃します。


料理ひろめ市場料理
帯屋町の端、土佐藩家老の深尾弘人蕃顕(ひろめしげあき)屋敷跡に建てられた、
高知城近くにあるひろめ市場。
ここは高知の郷土料理や地酒が並ぶ屋台村で、
高知料理を楽しみたい方はまずここを訪れましょう。
好きな料理を好きな屋台で好きなだけ買って食べる事が出来ます。
お酒を頼めば「何合ですか?」と合数を聞かれるのは、流石酒豪の国と言った所。
観光客以外にも休日や休日の前日などは地元の方で早い時間から人が溢れます。

隣に座っていたおんちゃんは、一升瓶を抱えてこちらの話題に入ってきました。
これもひろめの醍醐味です。

びっくりこちらのオススメを少しご紹介いたします
足跡:土佐蔵社中=100円でお酒の各種テイスティングができます!
足跡:珍味堂=どろめとウツボのタタキが最高でした!
足跡:明神水産(明神丸)=カツオのタタキといったらここです!
  風味がもう最高でした!
  高知のカツオのタタキは他では決して食べられませんし、
  この本物を食べてしまうと他のタタキが本当にカツオなのか疑ってしまう程です!
足跡:ちびから本舗=ここのからあげは最高です。
  「ちびから」とは名ばかりで大きいので食べごたえもあり!
足跡:安兵衛=オーダーストップがかかる程の人気ギョーザ。
  私たちも一皿しか頼めませんでした!!



まる4日目 09年9月24日 高知市内散策まる

最終日は飛行機の時間まで高知市内にある長宗我部界隈を散策します。


クローバー薫的神社クローバー
元来、ここは瑞応寺という寺で、元親の父親・国親の菩提寺。
元親が岡豊から大高坂城(高知城)に城を移転する際に
一緒に持って来たと言われています。

尚、瑞応寺の住職は薫的和尚といい、山内家二代藩主山内忠義(一豊の甥)の代に
真如寺との争いで投獄され憤死します。
境内に薫的和尚のお墓もあります。

明治の廃仏毀釈のおりに寺から「薫的神社」と名前を変え現在に至ります。
地元では勝負事のご利益があるようで、参拝客が絶えません。

「洞ケ島町」という名前に由来するように、本殿裏にこんもりとした小さな山(?)
があります。高知市内はその昔は海の中。
この山だけが島としてぽつんと浮かんでいたそうです。
ということは、現在歩いている高知市内は、その昔は深海5m程だった事が解ります。

尚、薫的神社のお隣には安楽寺があり、四国霊場30番札所善楽寺が廃仏毀釈の折りに
なくなったときは、安楽寺が30番札所だったようです。
後に善楽寺が復活し、札所も善楽寺に戻したとか。


クローバー吉良親実屋敷跡クローバー
信親死後、長宗我部では相続問題で次男親和擁立派の吉良親実と、
四男擁立派の久武親直との間で争いが起こり、元親の逆鱗に触れた、
元親の甥・親実は切腹を仰せつかり、ここ、吉良邸で切腹したと言われています。

他にも親実の家臣や、親和擁立派が粛清に合い、
殺された7人が、後の怪談「七人ミサキ」の元となったと言われています。

結構解り辛い所にありますが、郵便局と学校の裏、
ということで目印はあるので行けないこともないと思います。
風景はすっかり変わってしまったけど昔は親実が住んでいたのですね…。


クローバー吉良神社クローバー
跡目争いで切腹させられた元親の甥、吉良親実を祀った神社。
高知市内に3つ程ありますが、今回は吉良親実邸跡に建てられた後に現在の場所に
移った所に行きました。若一王子宮内にあります。

鳥居のすぐ横には親実の首を洗った手水鉢が鳥居前に転がっています。


クローバー石立八播宮クローバー
1587年、元親が岡豊から大高坂城に移ったとき、
城の裏鬼門を守る社として造営した神社です。


クローバー吸江庵クローバー
最後は長宗我部の始まりの場所、吸江庵でこの旅をしめようと思います。

臨済宗妙心寺派の寺院で1318年に夢窓国師がここに
庵を結んだことを起源とし、江戸時代には山内一豊の義子、
湘南和尚により再建され、名を吸江寺と改めたとされています。
明治時代に火災にあい、当時の建物は焼け落ちてしまいましたが、
石段や石垣は当時そのままだそうです。
庭からは吸江八景といわれる、美しい浦戸の風景が一望できます。

夢窓国師は足利尊氏の政治顧問をしていたこともあり、
室町幕府の庇護の許、吸江庵は力をつけていきました。
南北朝時代の後、土佐の守護大名となった細川氏より
長宗我部氏は代々寺奉行に任命され、吸江寺と細川氏の許、
勢力を伸ばしていったものだと考えられています。

尚、夢窓国師は京都嵯峨野の臨済宗天竜寺派大本山天竜寺も開山します。
元親は若い時から天竜寺に深く帰依し、当時の天竜寺の住職から
37歳で「雪蹊」という法号を貰い、1599年、京都伏見でなくなった
元親の亡骸は天竜寺で荼毘にふされました。
土佐を平定したばかりの元親が天竜寺と繋がりが持てたのも、
吸江庵の力があったからだと考えてもおかしくはありません。

ここには千代丸地蔵堂があります。この由緒にはこんな話が残されています。

一条兼定の息子内政は、元親の娘婿でした。
ある日、波川玄蕃が謀反を起こそうと企て、内政がこれに加担していることが解り、
怒った元親は内政を殺してしまいました。

元親の娘と内政の間には千代丸という男子がいましたが、
まだ幼かったので元親も許し、吸江庵へ預けられました。
しかし、千代丸が成長するにつれ、父を殺した元親をいつかこの手で
討ってやると公言し、いつも懐刀を忍ばせるようになりました。

そのことが元親の耳に入り、怒った元親は浦戸湾におびき出し、
千代丸の首を船の上で 切ってしまいました。
その首は船縁にしっかりと噛み付いてなかなか離れなかったと言います。
千代丸12歳の美少年だったそうです。

その後、不憫に思った土地の人が、
ここにお墓とお地蔵様を作って供養したそうです。
千代丸地蔵は首から上の病気、特に女性の甲状腺の病気にご利益があるらしいです。



まる高知旅の提案まる
高知は自然と手つかずの史蹟が沢山残る貴重な地域であり、
高知の人は人なつっこく分け隔てなく接してくれます。
そして「おきゃく」という謙譲の美徳が今でも残っており、
外から来た旅行者を大変もてなしてくれます。

また、私もそこから高知で沢山の方のお世話になり、
歴史を通じて高知県の良い所を沢山教えて頂きました。
人見知りをせず、どんどん高知の人と触れ合って下さい。

何気なく通っていた場所が実は史蹟があり、
昔には物語があった場所である事が解ります。
同時に、それが長年語り継がれて来たという
奇跡でもあるということに感動し、
また更に高知が好きになる原動力にもなります。
  Posted at 21:33 | | この記事のURL | コメント(3)
コメント
長宗我部元親ファンにはたまらない旅日記ですね
高知県の魅力も伝わってきます
神奈川県 Posted by:笑助  at 2009年11月12日(木) 22:52
4泊5日、読みごたえのあるレポートですね
福井県 Posted by:おじゃ  at 2009年11月06日(金) 23:25
すご〜く読みやすい旅日記ですね4泊5日、たっぷり高知県を堪能したいです
愛知県 Posted by:まりもも  at 2009年10月14日(水) 19:30